高級食パン官界彷徨

まとまったお休みが取れたので、せっかくだから、家にずっといました。

 

ここ数日したことは、尾崎翠の一つ一つを抱きしめたくなるような、素晴らしい作品を改めて読み返し、そこに流れる澄み渡るような孤独と1930年代の日本を飛び越えたユーモアを胸いっぱいに吸い込んで感激。AmazonGoogleで血眼になりながら資料を探し、ポチり、黙々と読みつつ遺族の方々と研究者の方々の著作権料に少しでも力になりたいと願う…そんな緊急事態宣言だった。

コロナ禍での1番素晴らしい出会いは何かといったら、尾崎翠さんだ。彼女の故郷の鳥取の県立図書館には手書きの原稿や手紙があり2週間前に申し込んだら見れるらしい。コロナ前の出張で私はその隣のホールで疲労困憊しながら働いていた。あの時知っていたら絶対に図書館に行っていたし、なんなら飲み会を断って故郷鳥取巡りをしていた。出来ずじまいに外出禁止を求められる世界線を彷徨するざまになったのが残念でかなしくてたまらない。

尾崎翠さんの何が素晴らしくて心惹かれるなんてわたしが言えた口じゃないけど、精神に不調をきたしながら傑作を書いた…というような紋切り型の「女流作家」からひらひら浮上するようなユーモアと透き通った寂しさがあるところ。ヴァージニア・ウルフ、キャサリンマンスフィールドに果てしなく近いように見えて、筆を折って故郷に帰っても梨を丸齧りした詩を書いたじめじめしない爽やかさがあるところ。

 

そういうわけで、1番今私がすぐに行きたい場所は鳥取なのに、尾崎翠さんの世界を感じに旅行に来ちゃいました💓なんて言ったら国から他者から罰せられ、禁固刑になりかねない不要不急が許される世界線ではないので、私がいやいや向かったのはいつも行く美容院だ。髪型が武田鉄矢に似てきて限界だった。

 

美容院まで歩いて30分。天気も良いし歩くことにしたら、高級食パン屋が3軒もできていた!そのうち二軒は200メートルくらいしか距離が離れていない。

食パンに「高級」と付ける下品さがわりと許せない。

高級食パンはあれはもはや食パンではなく、ふわふわのあまあまの美味しくて消費税込みで1000円くらいして買ったあとビビるパン でしょうが。だいたい食パンというのはパンの中に「食」という名前がついた唯一の誇り高きパン。パン屋というオーケストラの中の低音域を担当する存在なのに、急にクロワッサンやブリオッシュ並みに持て囃され、まるでそれまでの食パンが劣っているかのように「高級」と名を変え品を変え、ビルのテナントに2016年くらいから潜り込んでいるふわふわのあまあまの美味しい千円札泥棒ではない。ふわふわあまあまパンとして改名して売り出してほしい。

第一、食パンマンはどうなる?やなせたかしの思いはどうなるのよ??高級、なんてパンにつけられて。

髪を切られている間ずっとそんなことを考えていたから、パン種みたいな髪型になった。

 

担当の美容師さんは私のオーダーを的確に読み取る。