【ネタバレ】ハウス・オブ・ザ・ドラゴン 

世界中で空前のヒットを飛ばしたゲーム・オブ・ザ・スローンズの前日弾、ハウス・オブ・ザ・ドラゴンのS1が終わった。

AmazonとHBOという2大プラットフォームで超大作を同時期リアルタイムで見れる世の中に感謝しかない。

 

デナーリスの先祖の鉄の王座を巡る人々の血みどろの闘いと言ったらそれまでのドラマに現代的なテーマが付与されており、原作(読んでないが)より爆上がりで面白くなっている。しかもそのテーマはめちゃくちゃシンプルで削ぎ落とされており、「女の主体性と家父長制」だ。

ゲーム〜は群像劇だったがこちらはゲーム〜のキングスランディングパートが基本延々と続く。なのでジョン・スノウパートやアリアパートが好きだった人はあんまり面白くないかもしれない。というかゲーム〜の舞台装置を借りた全く違う物語になっており、ドラゴンがいっぱいいるけど最早ファンタジーとも言えない。鎌倉殿の13人や最後の決闘裁判が近い。

持てる女、レイニラと持たざる女、アリセントという家父長制に抑圧された対照的な2人の女性と男性性の闘いを絶望感漂うトーンで中世ファンタジー作品特有な豪華な衣装とセットで描き続ける激鬱作品だ。(褒めてる)

女性の描き方への解析度が前作より爆上がりしている。デナーリスやサーセイが男を魅惑し、破滅させるファム・ファタールとして男の夢たっぷりに描かれていた前作(ティリオンがジョンに俺だってデナーリスを愛していたけど殺さなければ〜とか言うところとかサーセイ以外はシェイとか。男が女に狂わされたと解釈した時殺人や憎しみがロマン化される)とは違ってレイニラもアリセントも男のロマンにならない汚さを持っている。

レイニラはデナーリスにそっくりと見せかけて全く似ていない。彼女はデナーリスが持てるはずだった王女としての特権を全て持ち合わせ、父親に愛されて性虐待にも合わない。むしろ彼女が権力を行使し弱者男性に性行為をけしかける。悪びれることもせず、自由に好きな男と寝る。自分の権力のためには嘘もつけるし、親の介護はしない。I create a new order.というシーンは胸がすく思いがするが彼女の振る舞いは家父長制における高位男性にかなり近い。それが女王になるための通過儀礼だとしても。女性が男性のように振る舞えないことへの苛立ちが彼女の家父長制への反発の一つだ。むしろ反発しているからこそ名誉男性のように振る舞っているのかもしれない。デナーリスが全てを失ったところから全てを手にするストーリーならば彼女はその逆を行くのだろう。

名誉男性と違うのは、彼女は今のところまだ残虐ではない。自分に逆らう人間を秒で焼かない。デナーリスは最初から自分に跪かなかった人間に対しとことん残虐だった。それはターガリエン特有の仕草でもある。ダメ父親とアリセントに幼少期から愛情を一心に受けて育っているから愛が死かみたいなデナーリス的激しさは持ち合わせていない。(デナーリスに似ているのはむしろデイモンだ)

対になるアリセントは複雑なキャラクターだ。歴史書で描かれる最悪な継母そのものの人生を歩みながらも、彼女が幼少期から家族に愛されず、(強い繋がりを持った母親は早逝し、馬上槍試合で闘う兄は一切描写されない)父親の政治のコマとして、老いた夫の性奴隷として、そして看護婦として男たちに完璧に尽くしてしまう。精神的な虐待を受け続けているにも関わらず、「慎みと法のため」我慢に我慢を重ね、制度そのものではなく、自由に振る舞う女性=レイニラを憎む。

家父長制ゴリゴリの日本社会に生きる女性にとって、登場人物の中で一番共感できるのはアリセント(ドラマの方)ではないだろうか。アリセントのような女性は男性から見れば賢夫人と讃えられそうだが、彼女が悉く主体性を奪われた女性という描き方が良かった。彼女が爪をむしるシーン、ヴィセ―リスとデイモンに軽く嘲笑されるシーン、子作りと子育てを延々と強要されるシーン、介護するシーン…すべて今この日本で起こっていることだ。アリセントはアメリカで非常に嫌われているようだが、欧米人から見るとアリセントのような女性は自分の意見を持たず(制度を破壊しようと思いすらしない)、ヒステリックで嫌な女なんだと思う。こういうヒロインは今まで映画やドラマに出てきそうで出てこなかった。野心家の継母というステレオタイプを複雑化したキャラクターだ。息子が侍女をレイプして、堕胎薬を渡す時の悲しさと嫌悪感のあの全てを諦めた表情、家父長制に染まりきった女性、そしてもはや何が自分を苦しめているのかもわからないほど(「人がどう思うか全て」と語るように)自己を喪失し虐待された女性の表情そのものだった。オリヴィア・クックの大人アリセントのいつも手を前で組んで爪をギュッとしている仕草がアリセントの抑圧を示していてよかった。王宮で一番身分が高い女性なのに、ドラゴンがない(=武力がないから)彼女は今でも自分の望みをかなえるために、男たちに性的奉仕をしなければならないのだ。この辺りもぞっとした。

家父長制に忠実なアリセントは男性の側にいることが多いがずっと無表情だ。(ヴィセーリス王とのあの表情!)彼女のセクシャリティーは、すごくクローゼットなレズビアンか、アセクシャルな気がする。凄く悲しいのは彼女が1番愛しているのは今も昔もレイニラだ。レイニラが〜と言う時だけアリセントは必ず感情的になっている。完璧な主婦、母親を求められながらも女友達への強い想いを抱え続けているのは私が大好きな映画「めぐりあう時間たち」でジュリアン・ムーアが演じるローラ(見た目もアリセントに似ている)に凄く似ている。レイニラもアリセントを愛しているが、アリセントだけを愛している訳ではない。そのズレが男たちの奸計により彼女たちを引き離す。

男たちのクズ度の解析度も上がっている。ジョフリー、ラムジー、ユーロンは皆殺人大好きクソ野郎で、同じカテゴリーの人間だったが、強制帝王切開、娘の友達と結婚する父親、娘をベッドに送る父親、逆ギレミソジニー男、足フェチ男などクソ男の盛り合わせ弁当だ。ここまで盛り合わせるか?というくらい。

薔薇戦争や中世史で繰り返し描かれてきた先妻の子vs若い継母とその子の血みどろの王座争奪戦をHBOがドラマ化のテーマにすると言った時、ゲースロのキングスランディングパート大好きだけどそれだけをドラマ化すると二番煎じ感あるなあと思っていたが杞憂だった。家父長制とフェミニズムの視点をメインにそれ以外は装置としてバッサリ削ぎ落として描く。キャラクターが大量にいた前作と違い、レイニラが主人公、アリセント、ヴィセーリス、デイモン、ほぼこの4人のドラマだもんなあ。大胆な翻案ならば何処かの歴史ドラマで何回も見た展開にここまで深みがでる。Amazon聞いとるか??要は脚本なんだよ脚本!!!!ハァ〜〜力の指輪もHBOがやってくれたらなあ〜〜なんならネトフリのアラゴルンのスピンオフの方が良かった。トールキン財団もAmazonにあんな作品を作らせるなんてもう同罪だよ!!!!むしろハウスオブザドラゴンの原案よりはるかに多種多様なトピックが追補編にゴロゴロしてるのに無視&捻じ曲げだからな。

 

ただ、前作が持つ圧倒的個性を放つキャラクターがまだおらず(ティリオンやサーセイ)、GOTほどの名ゼリフもいまだ生まれていない。 際立った悪役もいないが、応援したくもなるキャラクターもいない(のも狙いなのかもしれない。)

その中でマット・スミスが演じるデーモン・ターガリエンはターガリエンの悪いところ全部盛りなのだが、彼なりの論理と美学を持っており、なかなかのアンチヒーローっぷりになっている。図らずして?ハルブランドしかりファンタジー作品のアンチヒーローには恵まれた一年となった。 

20年代のファンタジーでは約束された剣を持ったアラゴルンやイケオジエレンディルでは脚本家的にはだめで、アンチヒーローでなければならず、かつ、アンチヒーローは狡猾で人を操り、利己的で残酷な美形でないとだめなのだ。(マット・スミスはふとした時にハッとする美しさがあり、チャーリー・ヴィッカースは影のある超イケメンだ)

2つのファンタジー作品でデイモンがドラゴンを起こし/ハルブランドが指輪を作るためにモルドールに趣くというクリフハンガーで終わったのは偶然ではない。正統派のヒーローはおらず、ヒロインもいない。その代わりにアンチヒーローは有害な男性性を持つが人を魅惑する危険な悪役でなければならない。映画ジョーカーが大ヒットしたときにも思ったのたが、ここまでアンチヒーローがウケている社会は社会的に結構危険な兆候だと思う。デイモンもハルブランド(サウロン)も目指す政治体制は独裁だからだ。 デイモンを民の事も一応考えている風だが(レイニラの口から民を心配するセリフは出てこない)彼はドラゴンに異様に固執しているし、かなり暴力的なので民主主義を樹立するとは思えない。まあターガリエンは所詮人間なので王はいつか死ぬので血統に拘りながら権力は移動するが、チート民族マイアールのハルブランドくんことサウロンは基本は死なないので、権力を誰とも分つことはせず、全ての有力な多民族を優秀株をリクルーティング(ドラマのガラドリエルも所詮は候補者の1人)し、ナスグル化させて支配する絶対俺様独裁を敷いてしまうことができる立場なのだ。デイモンもハルブランドめやってることは無茶苦茶だが、それぞれのロジックは一貫しており、デイモンは「やっぱりターガリエン(兄ちゃん)しか勝たん」ハルブランドは「やっぱり支配しか勝たん」なのでお互いの美学に沿った行動をしているため、魅惑的なのだ。まあどっちもめちゃくちゃヤベェ男だが…

これが欲しいんだろ?というような制作側の安易さも感じるし、乗るのが悔しいのだが、こんなにアンチヒーローが英雄視される世の中も混沌としてきて不安になる。

所代わって日本の大河ドラマの鎌倉殿の13人での北条義時も胸がすくほど相当なアンチヒーロー(殺人脅迫陰謀)っぷりだった。やっぱり2020年代の映像作品はアンチヒーロー一択ですね!!ヒーローの基準が変わってるんだろうなあ。この辺誰か考察して欲しい!

 

出産の悍ましさで始まり悍ましさで終わるのも円環的な描き方で良かった。エマ・ダーシーとオリヴィア・クックの演技は白眉ものだ。壮大なスケールで描くファンタジー作品とは程遠いターガリエン滅亡ENDの地獄の盛り合わせ弁当といった趣きだが、スケールの小ささを逆手に取ったシーズン1だった。