力の指輪を巡っての考察【ネタバレ】

ドラマ力の指輪についてつらつら考え続けている。

 

トールキン作品のファンとして、最終話を見て怨念の篭った文章を書いてしまった。失望のあまりAmazonがぜんぶわるい!!と思い脚本家を今すぐ交代させろとか思ったが冷静になるとトールキン財団こそがサウロンAmazonはナスグルでトールキンの作品世界を知りたい拡充させたい未定稿の文章が出て来ればファンは涙を流し考察を始め挙句はファン同士のころしあいくらいになってしまうほどの私たちのトールキンへの伝説群への飽くなき欲望、つまりトールキン作品こそが現代のカルチャーにおける一つの指輪なのかもしれない(トールキンが寓話が大嫌いと知った上でのジョークです)

 

ドラマ化の経緯

 

ドラマ、力の指輪が作成される経緯はwikiや海外記事を参照にしてるので間違っているかもしれないがざっと要約するとこんな感じ

 

トールキンは生前ホビット指輪物語のメディア化の権利(映画、アニメ化、舞台化などなど)を現在のMiddle earth enterprise(トールキン財団ではない)に売っていた。ディズニーが大嫌いなためディズニーが関わることを金輪際禁じている。本当に映像化が嫌だったら権利を売ることもないだろうと考えられるため、トールキン自体は比較的自作品のadaptationに柔軟な考えを抱いていたと思われるが、最早真意は誰も分からない。

<追記>

下の記事を読むとトールキンの幻のラジオドラマ原稿が発掘されたようですね!

トールキン財団のイメージで教授は原作絶対尊重!のイメージがあるのですが、本人はやっぱりある程度はadaptationに柔軟な態度を示していたんだなと思います。そうじゃないと映像権生前に売らないだろうし…トールキン脚本の作品見てみたかったなあ。

www.theguardian.com

この権利が元でロード・オブ・ザ・リングホビットの映画が、シャドウ・オブ・ウォーといったゲームが作られ、中つ国世界は今も拡大している。

トールキンが生前発表した中つ国の物語はホビット指輪物語がしかない。が、この2作品よりずっと前からトールキンは自分の神話体系を考え続けていた。ホビットはそもそも子供向けに書かれた童話なので別物だったが後から神話体系に組み込んだ。指輪物語ホビット続編のつもりで書いたが気付けば神話により近いどうみても子供向けではないお話になった。この神話体系が世にも美しいシルマリルの物語である。

だがついにトールキンシルマリルを完成させることはできずに亡くなる。息子のクリストファーがトールキンの意志を引き継ぎ、せっせとオヤジのノートをまとめたり推敲したり編集を加えてくれたおかげで全トールキンオタクの旧約聖書シルマリルの物語が出版された。

クリストファーはシルマリルの物語の編纂者であるので彼に著作権が発生する。シルマリルの物語はそれはそれは美しい物語だった。クリストファーはシルマリルを絶対に誰にも渡したくないと思った物語のフェアノールそのものになってしまい、全てのトールキンのメディア化を否定した。しかし彼がトールキン財団の中心となり、父親の遺産を守り、保管してくれたおかげでオタクは死後数十年を経てもトールキン作品を供給されている。しかしロード・オブ・ザ・リングはおろか、ホビットトールキンの人生の映像化の全てにケチをつけ、全トールキンオタクを慄かせたが、同時に深く畏怖される存在だった。

クリストファーにとってはシルマリルの物語は父親の創作人生そのものだった。指輪物語は後付けに過ぎないのだ。特に父親と母親そのもののベレンルーシエンの物語が含まれた作品群をadaptationされるのは許さないことだったのだろう。その気持ちも分かる。

今回のドラマの仕上がりを見るとクリストファーが原作に固執してたのもあながち間違いではなかったなあと思う。

さて、シルマリルの物語にはこの世の始まりから力の指輪が作られた過程、ヌメノールの没落までファンが歓喜し考察をアホほど重ねる物語が収められており、世界中のオタクはこの物語がいつか実写化されれば…と願い続けていた。

一方そんなクリストファーが生涯否定し続けたロード・オブ・ザ・リングは世界中で大ヒットし、その後のあらゆる映像作品に影響を与え、映画史に金字塔を打ちたてた。トールキンの意図とは違う形の部分はかなりあるとはいえ、優れたadaptationとして世界中に愛され、おそらくトールキンの原作本の売り上げに相当な影響を与えた、が財団としては勝手に売られた映像権を勝手に映像化されたとして裁判を起こす。映画会社がピーター・ジャクソンにちゃんと給与払ってない疑惑も浮上しめちゃくちゃややこしい一つの指輪を巡るような泥沼の戦いの末、決着が着き、財団側が持ちかけたのがトールキン指輪物語ドラマ化の話だった。トールキンはテレビドラマの権利は生前には売っていなかったのだ。おそらくこの話を持ちかけたのは絶対にクリストファーではない。とするとクリストファー以外の血縁者でサウロン化した金の亡者のトールキン財団の誰かだと思われる。トールキン財団の中でも他のシーズンと絶対に映像化を認めないクリストファーとの対立があるとどこかで読んだ。誰か教えて下さい。

指輪物語のドラマ化を売る、自体よく考えると結構変だ。ロード・オブ・ザ・リングがあるのに指輪物語をドラマ化するのはマーケティング的に結構チャレンジングだと思っていた。ロード〜がカルチャー史に与えた影響は凄まじい。PJは良くも悪くもトールキンのイメージと世界観を固定化してしまっているし、(ミナスティリスとかホビット庄のイメージとか)オースティンの高慢と偏見をやり直すのとは訳が違うのだ(みんなフロドが指輪を捨てることは分かっているし)どうするんだろうと思ったら第二紀を映像化するというニュースを聞いたときは驚いたがめちゃくちゃ嬉しかった。シルマリルの物語は本当に美しい作品だが、まさに神話なのでまず映像化すると冗長な所もたくさんあるし目立つ人間キャラがベレンしかおらんし…全然知らない人から見たら指輪物語シルマリルの繋がりが分かりにくいし、第二紀というサウロンが勃興しアラゴルンの先祖が海に沈み指輪が出来る過程を描くのはスピンオフとしても納得できる。

 

Amazonが描きたかったもの(仮説)

 

Amazon指輪物語をおそらくサウロン(悪)の視点から解析するというPJがロード〜で原作から単純化した善悪二元論に喝を入れたかったのだろうなと思う。サウロンだって絶対悪じゃなくて、元は天使だったのだ。ただの目玉おやじじゃなくて、親玉に仕える優秀な部下だったのだ。映画で固定されてしまったサウロンのイメージを崩した点はこのドラマの良かった点(=第2紀を実写化することになってよかった点)だと思います。指輪本編でのエルロンドのセリフ、For nothing is evil in the beginning.をドラマでやりたいという意気込みは素晴らしい。その意気込みは悪くない、悪くないよ!!例えばサウロン以外だと映画だけ見るとイシルドゥアは悪人だ。でも原作を読めばイシルドゥアは偉大な英雄で、建国者でもある。この矛盾は何なのか?例えばボロミアやデネソールは?偉大さと慢心、善の堕落を包括するトールキンの世界感は皆が思うよりずっと複雑だと思うので、ここにメスを入れることは良いことだと思うよAmazon…だが脚本がだめなんだよ!!

サウロンは誰でしょう?をやるためにおそらくガラドリエル様を主役にし、視点人物にしつつ、意図的にハルブランドの告知の露出を減らし謎のモブキャラ風にしていたが顔立ちから見てどう見てもモブキャラじゃないし、蓋を開けてみればガラドリエル様に次いで出番も台詞も多いのハルブランドくんだったので…。

どうやらシーズンごとにサウロンを違う俳優に演じさせようとしているらしいですが、サウロン誰でしょうをあと4シーズンやるのはアホすぎると思いますが、まだ7つと9つの指輪すらできていないのでケレブリンボールを誑かすアンタナールはハルブランドの姿を取れないとは思う(俳優に特殊メイクさせない限り)ので、ここを別俳優(シェイプチェンジしたサウロン)にさせるのは良いんじゃないかと思います。ただ視聴者とガラドリエルは指輪作り営業マンは全員サウロンと分かっているので、もう何の面白みもないのですが。それかケレブリンボールさんはもう闇堕ち(サウロン/ハルブランドが遠隔操作)して、他の指輪作り出すとか??それかあの最終話の数分の段階でハルブランドくんは持ち前のカリスマ性でエレギオンを完全掌握していて、また再び指輪作り営業マンと化す…といった展開だろうか?まあもう指輪をウキウキ作る奴→サウロンって視聴者が分かってるのでサウロン誰でSHOWやるのマジで時間の無駄だと思うが他の指輪作れてないしどうするんでしょうね??ヌメノールでのガラドリエルとハルブランドの観光シーン飲み屋の乱闘事件を描くんだったら、エレギオン編に力を入れるべきだっただろうが!!今私が恐れているのは、このシェイプチェンジしたサウロン状態アンタナールを「ケレボルン」にやらせようとするカス脚本をAmazonが思い付きそうという展開です。普通に考えたらマジで頭悪い展開だがめっちゃ思いつきそう!!サウロンガラドリエルストーカーと甘ったれた描き方をしたいマーケティングとその人の愛する人に軽率に化ける薄情サウロンをミックスしたカス脚本が爆誕しないかだけが心配です。サウロンがケレボルンに化けて誑かすことは大歓迎ですが、指輪作りにケレボルンを巻き込まないでほしい。原作でガラドリエル様の心をサウロンが必死に読もうとしていて奥方が固く心を閉ざすみたいな記述がありましたが、サウロンは自分にとって利用価値のある人物に目を付けて誘惑するプロですので、ケレボルンのことはそこまであんま興味なかったと思うんですよね(自説)サウロンはノルドールやヌメノール人やサルマンといった常に何かを創造したいと思っている知的で野心的な人々の欲していることがあまりにも「分かって」しまうので、常にそこに目を付けてるし、マイアールとして本来の彼の性質もそうだった訳です。サウロンが堕落した理由とも繋がっている。ケレボルンはノルドールじゃなくてシンダリンだから、そういう所で「傲慢なエルフ」といは違うキャラ付けをして、指輪作りとか何なん?くらい言って欲しい。

ただハルブランド役のチャーリー・ヴィッカーズさんがクビになった噂も聞かないし、良い俳優なので是非うっとりするほど美しいマイロン姿のサウロンは彼がメイクしてやってもらったり、ガラドリエル様の思念対決の時はハルブランドフォームを取ってこっぴどく誑かしてほしいですが、脚本陣にこのあたりを上手く回収できる力があるとも思えないので、わけわからん脚本で頑張って必死に演じる俳優がひたすら可哀想です。

サウロンはもの凄いメゾット俳優みたいなものとチャーリー・ヴィッカーズさんがインタビューで言ってましたが、本質を言い当ててると思う。サウロンは肉体がないし、肉体や物に自分の精神を宿してるから、決まった形がないんだよね。お目目キャラになる前はイケメンだったのか!ってドラマと映画を観た人は思うかもしれないけどこの時のサウロンはイケメンに寄せる力を持っているだけで、イケメンそのものではなく、イケメンを完璧に演じれる力を持っているだけなのだ。イケメンである必要がない時はクソデカい狼や吸血鬼になっている。外面の良さがエルフや人間を騙すのに大いに役立つって分かってるサウロン性格最悪で最高!だからサウロンがバキバキの美女に化ける展開もすごく面白いしシルマリルでは実際あったしやってほしい。(あの三人娘がいなくなったの残念…)

 

このドラマには原作はないのですが、唯一原作と言えそうなのはシルマリルの物語の1番最後の「力の指輪と第三紀のこと」は、はじめにマイアールのサウロンがいた。という印象的な文章で始まるのだがおそらくこの章をベースにドラマをやっていきたい…と製作陣は思っているのではないだろうか。しかし恐ろしいことにAmazonシルマリルの映像権はない。つまりシルマリルの物語に記載されている文章、キャラクターは使えない!!指輪物語のドラマ化の権利しかトールキン財団からは貰っていない。当初はアラゴルンのスピンオフだったのだ。最終的にシルマリルなしで第二紀をやろうとすることをトールキン財団が許可した時点(Amazonが第二紀をやりたいと言ってもシルマリルの版権ないからダメ!って言い返すことはできたはず)でもう誰がどう頑張っても脚本が失敗することは自明だったのかも知れない。

(シルマリル最終章の力の指輪と第三紀については版権を売った説もあるらしい。コマ切れで版権売るトールキン財団もカスだしAmazonの脚本家はマジで原作を読んでくれ。)

Amazonジェフ・ベゾスのことも責められない。ベゾスはもう現代のアル・ファラゾーンでしょ。世界の物流を支配して、うなるほどお金を稼いでる人がやりたいことなんて少年の頃の夢を叶えるくらいしかなくない?私がベゾスだったらトールキン財団の実写化してええんで☺️って囁きに乗ってしまうと思う。権利料200億?とかでしょ。脚本家とショーランナーのセンスがアレだった点は罪だと思うが、まともな脚本家だったらシルマリル使えない時点で去っていくだろうしやはりトールキン財団こそが真のサウロンだと思います。(キッパリ)

 

権利問題が作品にどんな影響を与えているかというと例えばサウロンとフィンロドの関係。ドラマではサウロンが差し向けたオークにフィンロドは殺された風だが、シルマリルではサウロンとフィンロドがまず歌合戦!をし(中つ国では歌がうまくないと駄目です)、サウロンがフィンロドを捕らえて殺す。歌合戦でサウロンベレンを裏切るように唆し、フィンロドが否と言った時にサウロンはお前はエルフ同士で殺したノルドールやんけ俺と何が違うん?という煽りとも取れる歌を歌い返しフィンロドは負けるという非常においしいエピソードがある。

サウロンガラドリエルに因縁がある、というドラマの方向性は個人的に良いと思っている。(終わらざりしにもガラドリエルの支配欲についてふわっと書いてる。終わらざりしにはサウロンガラドリエルのことを最大の敵になると認識して媚び諂った記載もあるし、2人の関係は勿論ドラマほど露骨ではないにしても、キャラクターとして非常に共通点はある)サウロンガラドリエル様の属するエルフのノルドールは同じアウレという鍛冶や工芸を司る下級神に学んだ言わば兄弟子と弟弟子という関係で結果道は違えど非常に共通点がある描き方をされており、かつサウロンには作者公認の非常に美しい姿を取れるという設定(上司モルゴスにはない)まであり、ガラドリエルも同じく、中つ国で最も美しいという設定もある。サウロンガラドリエルも中つ国に自分の思うままの王国を作りたいという非常に近い欲望があり、フィンロドを巡る深い因縁があり、何と言ってもアマンに帰ることを2人とも拒んでいる。その理由は結局はプライドの高さに由来するもので、ガラドリエルサウロンを警戒するのは同族嫌悪とも取れる非常に美味しいエピソードだらけなのだが、こういうの全てが映像化できない制約&読み取れない謎脚本家のせいで、ハルブランドとガラドリエル関係はおろか、ガラドリエルサウロンをなぜ追うのか?という理由の根拠が「殺されたらうばいかえす!」体育会系になりふわっとしている。ノルドールが美しいものを愛し優秀なエルフであるが故にモルゴスにつけ込まれる(シルマリルを巡る戦い)のは、サウロンが秩序だった美と無意味な諍いを嫌ったため力に魅せられ超優秀な天使的存在のマイアールから堕落するのとパラレルになっている。創造欲から来る支配欲ゆえの堕落…こういったことを描くことが出来ない(脚本家がノルドールのエルフの特質についてなんかすげー傲慢な奴らという描き方をしているだけ。アロンディルがすげーいい奴になっているのと対照的)せいでドラマに致命的な欠陥が生まれている。トールキンが最も危険な欲望の一つとして描いたのは創造欲が引き起こす慢心とそれを所有したい!という欲望と捉えることも出来るし、サウロンの歌合戦実写化不可能だとしても、ガラドリエルのバックグラウンドであるノルドールエルフの知識や技術への力への欲望とサウロンを繋げてガラドリエルとハルブランド(サウロン)を描く脚本を作ることもできたはずなのだが…そういう意味ではハルブランドに俺だけは君の偉大さを理解出来るよ…って囁かせるのはよかったがもう少し丁寧に脚本紡げや!!!

ドラマ見返したらサウロンを追っているうちにサウロンと自分の区別が周りが分からなくなったみたいなセリフがありましたが、あれは完全に解釈不一致なんですよね。まずガラドリエル様が自分を見失うことなんてないと思うんですよね。自我と誇りで中つ国に踏み留まってる人だと私は思う。ガラドリエルは偉大な指導者で、自分とサウロンに共通する支配欲を持っているからこそ、(だからこそ奥方にとっても指輪の誘惑は絶大な訳で。フロドと対峙した時欲しいと願ったことを否定しませんと言った訳で)サウロンの目論みが分かるし、中つ国の誰よりも早くサウロンを警戒した。って解釈の方が良くないですかねAmazon!奥方がサルマン信用しなくてガンダルフ推しだったのもサルマンと自分が似ているからだと思うんですよ。サルマンも結局は中つ国に自分の王国を作りたくて引きこもっていますが、ガンダルフは最後まで特定の住居を持たずに放浪していた所を奥方は自分と違うと信用してたと思うんですよ。じゃあサウロンガラドリエルの何が違うって憐れみを理解できることだと思うんですよ!!!!(save or ruleなのでは?だから私はあなたの味方になることは決してない!と言い切るガラドリエル様は良かった)ハルブランドが中つ国を癒したい(=支配)って涙ぐみながら熱弁するのは大変良かった。ここはこのドラマで1番褒めていい所です。サウロンが「癒す」ってワードをチョイスする(トールキンの手紙にもあります)所に彼がかつては善だったことを伺わせてご飯何杯でもいけてしまうね。なぜならマイロン(サウロン闇堕ち前の天使時代の名前)はアイヌリンダレ(この世の始まりの音楽)の時から存在していて、その時はエルの音楽を理解出来て美しい歌を歌っていたから。その時は「癒す」ということが真に理解できたはずなのだ。アウレに仕え、物資の創造に携わっていたが私の解釈だと自分の思うように創造したい気持ち故に闇堕ちし、今のサウロンは癒しや憐れみをマジで1ミリも理解できねーー最悪な超イケメンなんですよ!!!!エルフが3つの指輪を作った理由はドラマだとおかしくなっていたが、そもそもは万物を「癒したい」という気持ち。でもサウロンの癒しとは結果全く違う思想。だからサウロンは指輪を棄てるという思想もスメアゴルを生かしたビルボの気持ちも分からない。これくらい描いてサウロンガラドリエルを繋げる演出なら万々歳でした…

それにフィンロドを倒したサウロンくんから見れば善人を気取っているノルドールエルフの小娘だって、エルフの同族殺しに関与した(ガラドリエルがどれくらい関与したかはトールキンも最後まで決め兼ねていたようですが。)血を引いてる訳でぶっちゃけノルドールエルフも相当な悪事を重ねている訳で、俺と何が違うんですかね?という最悪な煽りをかますことだってこの脚本の流れでは出来たかもしれないのですが、脚本家は本を読むのを忘れてしまったようなので、この辺もふわっとしてしまいましたね。ハルブランドとガラドリエルがヌメノールでふらふらしてる1話分でもエレギオン指輪作り編を丁寧に描けよ!!!何故ガラドリエルがハルブランド=サウロンの誘惑I would make you a queen.にグッと来たのかガラドリエルのキャラをもう少し丁寧に紡げよ!!!!Amazonトールキン財団にお金を吸い上げられているので中つ国wikiすらまともに読めないようなカス脚本家を雇ったせいで大雑把なあらすじだけ追うとガラドリエル吊橋効果でドキドキし、出会ったハルブランドがあまりにもイケメンでロマンス詐欺()に合ってしまいました⭐︎みたいにも見えかねない展開(モーフィッド・クラークもチャーリー・ヴィッカーズも非常に演技がうまいので彼らの関係が恋愛以上のcosmic conectionになってることは表現できているのだが)になってしまったことは否めない。これもあれもエレンディル然り全てのキャラクターの神話性が完全に無くなっているからだ。アル・ファラゾーンをモブキャラにしたのも許してないぞ私は。アル・ファラゾーン第二紀のクソ重要人物なんだが。アンチヒーローとしてめちゃくちゃ美味しい役じゃん。アル・ファラゾーンの政治家としての辛辣さや偉大さ、暴君ぶりを描くことはアラゴルンとも対になるところなのに!アル・ファラゾーンの無敵艦隊は節士派でも誇らしく思うほどであったのに何故モブキャラにする!!!!!映画版デネソールみたいな描き方しやがって!!!息子との関係でエレンディルファミリーと対比するのもマジでどうでもええ。エレンディルとの対比はそんなことでしなくてよい。はよミーリエルと強引に結婚して、ヌメノールを最悪にしてください。

ミーリエルとの従兄弟同士の強制結婚はトールキンにしてはかなり生々しい下り(手篭めにしたんだろうなあと想定できる)ですが、現代にも通じるアルファラゾーンの有害な男性性を描ける所なので、ここはしっかりAmazonにはきちんと描写して欲しいです。ファラゾーンの神をも恐れぬ支配欲を象徴しているので。これがポリコレ配慮で描けないとしたらなんだかなあと思います。トールキンの草稿ではミーリエルの方がファラゾーンにお熱で夫婦でサウロンを崇拝するのですが、最終的に強制結婚にしたのはファラゾーンの残虐さや欲深さを際立たせるための変更と思うのですが………つーかファラゾーンはただの官僚ではなくて王族なのですが…ドラマのファラゾーン、アマン攻め込むんか??くらいのわりと普通の政治家でモブキャラだし…(サウロンに監獄の後ろから囁かれていたからここから野心むきだしにするのかもしれませんが)

何万回も言いますが、アカルラベースで描かれた人間の不死を羨む気持ちの愚かさや悲しさとかが1ミリも描かれていなくて単にエルフきらいかー!!になってて滅茶苦茶不満、何なら作中で1番悲しかった所です。ヌメノール人の描き方はめっちゃくちゃ不満です。人の心を読んだり遠くを見たり、長寿の設定はゼロになってました。エルフ助けなかったら良かった!とか言うエレンディル、正直本当に見たくなかった……し、エレンディルの娘が王党派でファラゾーンのアホ息子と恋仲なカス展開とかマジでいる?????ナスグルの1人を女性だったら良いなと思ってたが、エレンディルの娘とファラゾーンの息子の夫妻ナスグルが爆誕したらどうしよう……タル・アンカリメ的な傲慢我儘美女女王キャラのナスグル女性を楽しみにしていたのにその線ももう無さそうですね!!

終わらざりしにヌメノール版昼ドラのアルダリオンとエレンディス(ヌメノール最初の女王、アンカリメの両親。)という非常に面白いお話があるのです。これを読むとトールキンってかなり女心分かる人じゃないかと思います。現代人に通じる悩みを持つヌメノール夫妻の悲しい話でこういった記載からオリキャラを生み出せることもできるのにね…(まあ脚本家は知らないんだろうが…)ヌメノールの細かい描写もあるのに…ドラマ見る前にここテレビに出るな⭐︎って読み直した私がバカでした!

ヌメノールのなんかひたすら下品な民衆の描写は色々ありましたが、ヌメノール、バリバリの王権社会なはずなのですが、貴族階級の描写が無かったのも謎でした。やっぱ合衆国設定なのだろうか…。ただトールキンはヌメノール人を人間の中でも「上の種族」、中つ国の人間は文明的に劣っていると設定はしているので、ここは現代に翻案すると人種差別要素を多分にはらんでいるので、ヌメノール人の慢心や愚かさをしっかり描く必要はあると思うのですが。ここが単にアンチエルフ!に単純化されているのが問題ですね。神々はご褒美として、特定の人間に長命を与えた訳ですが、結局はそれは人間に羨望を引き起こし、神々にとっても過ちだった訳です。死は平等にどんな人間にも訪れる恩寵と思えない人間の性、欲深さ、死の悲しみ……アルウェンですら間際のアラゴルンに死すべき定めの人間についての理解が出来ていなかった!って嘆くほどのエルフと人間の分断…ここら辺がまるごとカットされているの何なんだ。

 

逆にドラマの描写のような嫌な奴らの末裔のアラゴルンひたすら優秀すぎん?

サウロンのマニュフェスト

サウロンがアダルとケレブリンボールに言ったpower over the fleshを求めているっていうのもオタク的には白目むいてしまった。サウロンはエルフや人間の更に上位種族のマイアールのため、そもそも固定した肉体を持っていないから(イスタリ除く)狼にもなれば吸血鬼にもなれば美しい男にも精神を宿すことができるのでサウロンはそもそもpower over the fleshはめちゃくちゃ持っているから(ヌメノール沈没後は悍ましい姿しか取れなくなったとはいえ)サウロンが指輪作ったのってそういう理由じゃなくね??!サウロンのマニュフェストってrule them all一択だと思うんですが…メルコールが自分の思う通りに動かないアルダ生命全体を蝕んでやる!!俺こそ世界ってなっているのとは違い、サウロンは冷静に俺に隷属さえしてくれればみんないてくれていいよ(雑)中つ国が俺の傀儡政権だったら自治は認めるだと思うのでpower to rule them allなのでは…トールキンは寓話が嫌いだし意図して無かったにせよサウロンってファシズムの独裁者の香り(現代的な性格)とルシファーのメタファーが組み合わさった稀有な悪役だと思うがこの辺はややこしい問題なので口をつぐみます。(と思ったら現実社会でプーチンが旧ソビエト諸国にガチで指輪プレゼントしててヤバすぎて震えました。絶対意識してやってて事実が小説に肉薄してくる感じ最悪で怖すぎますね。トールキンの先見の明というか独裁者への洞察力すごいな。やはりサウロンの造形にファシズムは少なからず影響を与えているのではないかと思う)むしろpower over the freshを求めているのは不死の命を求めるヌメノール人だと思うのですが…。この辺の設定の雑さが本当に嫌。でもドラマのヌメノール人はただの成金キングダムで民族自決のためにエルフ嫌ってるから死を恐れたりしてないからもうええんか。サウロン来る前から堕落しきっているので速攻海に沈むからいいのか。よくないが…

power over the fleshマニュフェストにケレブリンボールが魅了されているのも変というか…二つの木を見た上のエルフって2つの世界(ふつーの世界/指輪を嵌めたら見える類の世界)で生きてるんじゃなかったけ…このドラマのエルフの描き方は耳つけた人間なのも納得いってないぞ私は!なんかめちゃくちゃアメリカ人がイメージするイギリス人って感じでね。傲慢で貴族&血統主義(でも改めて読むとアラゴルンは王政復古だしルーシエンを始めとするエルフの血を引くヌメノール人こそが人間の上位種族!あとは下の人間なのでトールキン世界は保守的でやはり人種差別である批判は免れないと思うのですが…と言っても芥川龍之介と同い年くらいの人だからしょうがないと思いたくなってしまうのだが)で常に上から目線?(ガラドリエルがヌメノールで船貸せやって言ってるシーンとかね)ヌメノールはそう考えると見た目は古代ギリシア風で役者もイギリス系だがめちゃくちゃアメリカぽいよね。誰もヌメノールで跪かなくてよい!ってミーリエルが言った時ウォーめっちゃアメリカドラマやなあって思った。あとギル・ガラドがエルロンドに半エルフは黙っておれ^_^みたいな煽りした時は全世界のトールキンオタクの顎が外れた瞬間だった。お父さまエアレンディルなのですが…まあこの台詞をクリストファー・トールキンが聞いたら発狂していたと思うからクリストファーが亡くなって見ていなかったのは彼自身にとっては救いでしたね…

エルフは中つ国を癒したい、美しいものを保持したいんですよね分かりますよアマンばりに美しくしましょうよ…ってアンタナール(サウロン)くんは誘惑したってはっきり書いてますからね。power over the fleshなんて一言もねーよ!むしろpower overr the fleshって指輪を嵌めた幽界の世界のことではないか?まあどっちにしろエルフの癒したい、美しいものを保持したいという気持ち自身は善なのだがサウロンに付け込まれる理由ともなる堕落の可能性もはらんでいる…というテーマが「おれたちは肉体をこえる!」みたいな厨二設定になっていてもう涙目です。シルマリルのアンタナールの台詞とが使えないせいで指輪の製造理由の下りもふわっとしてるし、わけわからない利権のせいで、脚本の仕上がりが酷くなって、作品世界が蹂躙されるのが辛い。

PJだってかなりキツい原作の改変を行なっていて賛否両論だったけど、映画監督として「自分はトールキンの作品をこういう風に翻案したいんだ」っていう意思やこだわりが作品に感じられた。アルウェンを絶対ねじ込むとか馳夫が悩むとかフロドがヒロインとかサウロンがレーザー光線になるとか善悪の単純さとか色々あった訳ですがトールキンをどう翻案したいかという熱意や美意識に溢れた作品だったなと改めて今回のドラマをみて思いました。

所詮Amazonはゲースロに負けない「コンテンツ」としてかトールキンを見てないのだと思います。それが全ての元凶かな。ゲースロだってそもそもトールキンがいなければ存在しえない作品だかんな!!!!

Game of Thronesはもうタイトルから見てもLord of the Ringsへのあからさまなオマージュですしショーン・ビーン(ボロミア)がネッド・スタークな時点でロード〜へのある種リスペクトを持って作品作りされてる訳ですが、きちんと別の作品にはなってましたから。王座や権力への固執でデナーリスがおかしくなるのも、鉄の王座=1つの指輪とも結びつけれるラストでしたが、権力への固執や妄執の人々が堕落する、だからこそ権力を葬るというテーマを半世紀前にトールキンはゲーム〜とは違う観点でやっている訳で、ここを原点として数々のカルチャー(ゲーム〜含む)が生まれたという事実をAmazonは分かっているのでしょうか??原点かつ頂点という描き方をしてしかるべき作品のアウラが、序盤のラブコメ風のガラドリエルとハルブランド(サウロン=ハルブランドの最終話へのミスリードとはいえ安直なマーケティングをしたAmazon許すまじ)、ひたすらクッソ感じ悪いだけのエルフとヌメノール人達、ロード〜を模倣しただけの謎のスローモーション演出(ノロリムノロリム!って言うガラドリエルレゴラスギムリオマージュのエルロンド×ドゥリン、レゴラス無双オマージュのダセェアクション)の数々をお金たっぷり豪華な映像美で見させられて何だったんだという感じです。

このドラマで最悪なのは作中のトールキン作品のキャラクター、文化のアウラが根こそぎ踏み倒されている点です。良かったのはヴァリノールとヌメノール実写化の映像美、スタッフの努力の賜物であろう美術、衣装、音楽!!ヌメノールのサントラは本当にぴったりでした。そしてサウロンも善の堕落の一つの形態であり、悪に仕えていた僕であったということ。お目目キャラからよく喋り人を誑かすルシファーとしてのキャラ付けができたこと。アダルに指摘されたように終始傲慢で人を自分の欲望のために使うガラドリエル(ノルドールエルフ)とサウロンが共鳴し合えるほど非常に似ていること…(このガラドリエル様はロスロリアンを治めれるのかどうか怪しいかなりじゃじゃ馬になってますが!!)といった描写で中つ国は簡単に善悪に分けられるものではないという点を視聴者に示せた点です。あとドラマ化にあたってトールキンファン界隈が盛り上がったのも良かったです。

 

 

でも脚本家だけが悪い訳じゃないのだ。今回のドラマの問題はトールキン財団がサウロンでベゾスはナスグル化しているアル・ファラゾーンなのだ。こんなお金と人が費やされた美しい映像のドラマをヌメノールの島同然沈んでもいいのか?Amazonは今すぐトールキン作品の節士派を雇った方がいいと思います。