【ネタバレ】5人目の妹~ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語~

去年からずっと公開を楽しみにしていたグレタ・ガーウィグ監督Little Women(邦題:ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語)を見た。

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ルイザ・メイ・オルコット原作若草物語の実写化だ。

若草物語を初めて読んだのは多分小学校4年生だったと思うが、何度も読み返したし、わたしは主人公ジョーみたいになりたいとずっとずっと思っていた。ジョー(ジョセフィーン)という名前の女の子が物語に登場することが衝撃だったし、癇癪持ちでユーモラスな彼女のセリフ一つ一つが大好きだった。小学生の頃のわたしの夢は作家になることだったから、彼女の生き方は憧れだった。逆を言えば、ジョー以外の姉妹、メグ、ベス、エイミーにはあまり興味、共感が持てなかった。(エイミーに至っては憎しみすら感じていた)

Little Women

映画を見て、この作品の題名がLittle WomanではなくLittle Womenである点が、すばらしさの一つであると改めて感じさせられた。原作では一章事に姉妹それぞれの教訓的エピソードが織り込まれ時間は直線に流れているが、映画では時間軸を大胆に脚色、改変していた。若草物語から続若草物語にかけてのエピソードが重層的に描かれる。そのおかげで姉妹一人一人の変化と成長、そして連帯が際立っていた。ジョーが執筆する物語、というメタ・フィクション的展開に持っていったことで、ジョーの語りという視点が生まれ、姉妹一人一人を個性豊かに、そして対等に描くことができたんじゃないかと思う。「高慢と偏見」の5姉妹ではこういう描かれ方はしていないんじゃないか。ジェーンのおっとりぶりはエリザベスの切れ者ぶりを際立てるし、あとの三姉妹はむしろ彼女の邪魔をする。別にあの作品は姉妹の連帯を描いた作品ではなかった。それに対してメグ、ジョー、ベス、エイミーの4人、そしてその周りの人々の一人一人の生き方をきちんと尊重しようとする制作側の丁寧な気配りを感じた。

この気配りは、登場人物の中で一番大胆不敵な人生を歩むのがジョーであり、小さいころの夢を犠牲を伴いながらもそのまま叶えたのはジョーただ一人だからこそ意図的に加えられたのだと思う。それはエイミーとの対比、ローリーとの対比でよく描かれていた。

エイミーとジョーは、とにかく仲が悪い。でも実は性格は一番よく似ている。芸術家になりたいと野心を持ち、そのために努力をする。自分には才能があると思っているし、主張も激しい。あの時代での「女の在り方」を率先して受け入れたのがエイミーで、拒絶して街を走ったのがジョーだったという点だ。シアーシャ・ローナンとフローレンス・ピューのヤバすぎる演技力で、2人は互いを「この子には適わないな」だと認め合った展開が胸アツすぎた。特にフローレンス・ピューのジョーへのコンプレックスや秘めた憧れをローリーに語るシーンが良すぎた。下手すれば姉から全てを奪おうとする末っ子というポジションになってしまいそうだが(昔はエイミーのことをそう思っていたし)、ジョーの書いた新しい物語を一番正しく批評したのがベア先生でなくてエイミー(誰も書かないからこそ凄いのよ→いつからあんたそんな賢くなったの?の下り)なのもめちゃくちゃ良かった。エイミーの賢さも、また賢くなってしまった理由も(メリル・ストリープ演じる叔母のコンパニオンをしている時の自分の役割を悟ってしまった時のあの表情!)しっかり描かれていたのでエイミーもめちゃくちゃいい女になっていた。ローリーに語るように自分には才能だけで世に出るほどの才能はない。叔母からもらったヨーロッパでの絵画修行をしたとしても、自分には画家になれない。でもお金は必要。結婚は経済問題の一つ。全部事実すぎて胸が苦しい。叔母がお金持ちと結婚するための嗜みとしてしか絵画を見ておらず(花嫁修業のひとつ)エイミーが顔を曇らせるのもリアルすぎて辛い。

ローリーとジョーの関係も、今までの映画とかなり違う描き方をされていた。お金持ちで人当たりもよくて頭の回転も速くてユーモラスなローリーこそ、ジョーに最もふさわしい相手だと昔は思っていた。でも原作を読み返し、映画を見てみると、ローリーは危なっかしさと弱さを持ったキャラクターで、だからこそジョーに自分の持っていないものを見て惹かれたんだと分かった。ローリーはジョーが死ぬほど行きたいと思っている大学なんかくだらないと横で平気で言ったり(これは言われたら結構ムカつくだろう)、ラテン語の授業をまともに受けなかったり、ジョーにビリヤードを咎められた時にムッとしたりする。ローリーは結構かまってちゃんなのでは?ジョーが作家になる夢は応援するけど、ジョーが自分と遊んでくれず屋根裏で必死で物書きしているのは何だか面白くない。それに多分ジョーの作品を批評できない。ローリーの中には自分がジョーのhusbandになって、しっかり男らしく振る舞わなきゃみたいな呪いがあったのだと思う。プロポーズのシーンで「家族のみんながこれを望んでるんだからイエスって言えよ!」みたいなことをティモシー・シャラメがボロボロになりながらジョーに懇願するんだけど、これ家父長制的な呪いがローリーの中もあるってことだよね?自分の好きなことだけで暮らしたい、音楽家になってみたいな、事業を継ぐのは嫌、でも努力はしない。と割と我がままばかり言うローリーの女々しさ(そこが魅力でもある)をシャラメくんは上手く演じていたと思う。イケメンなんだけどちょっと残念、みたいな。ローリーの洋服がフェミニンで、ジョーがミリタリージャケットを着て衣装を交換しあっているのも男女逆転みたいで面白かった。多分エイミーならローリーをよしよしできると思った。メグが結婚したいと心から思ったから結婚する選択もきちんと一つの選択として描いていて、ここも物凄く重要な点だと思った。メグの結婚式が一つの契機となって、姉妹たちの第二章が始まるのだし、そうじゃないと結婚vs仕事みたいな誰も幸せになれない呪いを再生産してしまうことになってしまう。わたしの母親は結婚を機に会社の通訳の仕事を辞めて専業主婦になったが、もともとわたしより明るい性格で、専業主婦になったことで自分自身が悲しくなったり後悔したことも全くないらしく、毎日楽しそうに宝塚歌劇を見ている。結婚や子育てや家事もマジで家族という株式会社の大きなプロジェクトだと思う。尊ばれるべき無数の選択の一つだ。

ジョーはもう、シアーシャ・ローナンしか在り得ないほどはまっていて、つぐないのブライオニーと全く違う演技力で、もう素晴らしすぎた。ジョーの癇癪持ちだけれど、実は繊細なところとか、生き生きとした語り方とか全てが神がかっている。ジョー、そしてオルコットは自分の欲しいものを手にした代わりに孤独を引き受けたんだと思う。人間が何かをやり遂げたい、好きなことで身を立てたいってめちゃくちゃ孤独な作業の連続だ。皆が社会的に大人っぽくちゃんとしている中で、自分だけ好きなことばっか考え、やっていくってマジでマジで孤独。

どうしようもなく孤独なの!この心の叫びは誰にでもあると思う。(女には魂もある、野心も~のセリフがオルコットの別の作品のセリフから取られているらしいのもめちゃくちゃいいですね)その孤独に効く薬は果たしてあるのだろうか?物語の中でフレデリック・ベア先生が彼女を真に理解し愛して、対等なパートナーとなり、彼女を癒した。その後ジョーが「わたしはお金のために彼女を結婚させた。著作権はわたしのもの」と強欲そうな編集者の前で言い放つ。彼女は独身なのか?と思わせておいて、プラムフィールド学園の大団円シーンになるので、本当のエピローグは宙ぶらりんのままだ。あるいはベア先生との愛は見つけたけど、小説の中のヒロインでは独身でいて欲しかったのか?あるいはベア先生は仕事上のパートナーになったのか?など解釈がつきないオチにしたのもあまりに憎すぎる~~~

 

5人目の妹になれるのか

ここまで褒めに褒めまくったので、ちょっとだけくさしてみる。

四姉妹のように、才能があって、美人で、賢い女はstory of my lifeを描くことができるじゃん。でも才能もない美人でもないわたしはmake my own wayできるのか??という問いだ。女が自分の好きなようにするためには、お金持ちか、美貌か、才能かあるいはそのどちらかが必須なのではないか、という疑問もある。「自由な中年女になりたい」という野望は何百年経った今でも難しいから。結婚が女の問題として片づけられるからしんどいのだ。結婚する、しないが女の生き方にいつまでも直結させられるのが問題だ。結婚のご予定に関して会社に聞かれるのは多分女だけだろうし。結婚したくない女も男もかなりの数いるはずだ。自由な一匹のホモサピエンスとしてただ生きたいだけの人も結構いるんじゃないのか。わたしの祖父は家庭を持つことも結婚することも誰かを愛することも全体的に向いていなかったと思う。独身だった方がはるかに自分らしく生きられる人だったからある意味で気の毒な人だった。家父長制は個人を殺す。

そういう意味で三女のベスは、才能で世の中と渡り合うことや、結婚の問題の枠を超越したちょっと特殊なキャラクターだと思った。シャイだけれど、暗いわけでもない。静かだけれど、音楽に対する確かな情熱を持っている。その才能を生かして有名になろうという気はなさそうだけれど、自分の社会の中での勤めを果たそうとしている。(慈善活動を行ってしょう紅熱にかかってしまう涙)他の姉妹に比べて目立って大きなことをしていないのに、ローレンス氏を幸せにしたりする。四姉妹の中で彼女だけがオルコットの亡くなった妹と同名なのも、彼女の一目に触れにくい美しさや気高さ、美徳をオルコットが特別視したかったためじゃないだろうか。演じたエリザ・スカンレンはベスをエミリー・ディキンソンのような女性だと思って演じたとパンフレットに書いてあった。ベスの豊かでどこまでも自由な内面、彼女もしっかりと自分の人生を歩んだ人であり、ディキンソンのように残された人々に影響を与え続けた。そういった静かな生き方を送る人は忘れられそうで忘れられない。ジョーがFor Bethと書いた断片小説がLittle Womenに変容したように、ベスは生き続ける。ベスもまた自由な一匹のホモサピエンスとして生きた人なんだと思った。あるに越したことはないけれど、目立った美貌や才能、お金がなくとも、人間は心持次第でどこまでも自由になれる。四姉妹全員に共感できるのは、グレタ・ガーウィグの優れた描き分けと脚色に他ならない。マーチ家の5人目の妹はこの作品を愛する貴女であり、わたしなのだ。

 

★音楽も美術も最高です

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若草物語 (福音館文庫 古典童話)

若草物語 (福音館文庫 古典童話)

 

 

 

続 若草物語 (角川文庫)