シェイクスピアと朝鮮半島~愛の不時着~

「愛の不時着」を1週間かかって全部見た。

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韓国の財閥令嬢が北朝鮮に暴風のため不時着し、北朝鮮の軍人と恋に落ち…というストーリーでめちゃくちゃ流行っている。

わたしの韓流の知識はチャングムの誓いと少女時代が流行していた頃で止まっていて、俳優さんの名前も全く知らないし普段韓流ドラマは全く見ないのだがすごく面白かった。なんでこんなに面白いのかと考えてみたところ、この作品がシェイクスピアのものすごくきちんとしたアダプテーションとして機能しているからじゃないかと思った。

シェイクスピアアダプテーションは全世界で毎年たくさん行われている。特に、舞台をシェイクスピアが生きていた時代から近現代へと舞台を変更したものは世界中のプロダクションで何パターンもやっている。世紀を3世紀くらいずらして上演するとかナチスを想像させる独裁・軍事政権下の「ハムレット」とか「ロミオとジュリエット」とかはヨーロッパのカンパニーが手垢が付くほどやっている。けれど完璧に現代を舞台にした時に、シェイクスピアがテーマにする「引き裂かれた男女」「権力をめぐる血で血を洗う争い」「劇的な死」をそのまま翻案すると、ものすごくスケールが小さくなる(もちろんスケールを小さくしても、人間の普遍の感情が描かれある程度面白いのがシェイクスピアの凄いところだが) しかしそれを北朝鮮と韓国という文字通り現在も引き裂かれた2国間が舞台になった時、荒唐無稽なお話の中にも物凄くリアリティが生まれてくる。

韓国と北朝鮮の38度線が意味するものは、可視化された分断だ。同じ民族なのに北と南が全く異なる政治形態で、境界線を越えることが犯罪になる国は、現在朝鮮半島しかないような気がする。ユン・セリとリ・ジョンヒョクの恋愛は単なる身分違いの恋だとか遠距離恋愛ではなく、モンタギュー家とキャピュレット家ばりの命がけの恋愛で、これはそのまま「ロミオとジュリエット」のお話である。(2人の身分は対等)ヒロインが父親の権力を最も受け継ぐ能力があるのにも関わらず兄弟に邪魔をされるのは「リア王」だし、都市から一人の人間か権力を握っているような隔絶された孤島(北朝鮮)に不時着した結果ドラマが生まれる…のは「テンペスト」だ。詐欺師のク・スンジュンとソ・ダンの2人がユン・セリとリ・ジョンヒョクの婚約者になって別れて互いに勘違いし…のドタバタは「から騒ぎ」や「十二夜」だし、この物語で唯一の悪役でこいついい加減にしろ!と思うあくどい堺雅人みたいな演技をするチョ・チョルガンは不遇な出自の自分を呪っていてめちゃくちゃ劇的に悪事を働くのもなんだか「リチャード3世」みたいだ。つまりシェイクスピアの喜劇、悲劇、歴史劇の全部のモチーフが散りばめられていて、凄く計算して脚本されている。韓流オタクのキム・ジュモクが韓流ドラマなら次はこんな展開になります!と言ったり耳野郎が盗聴した内容でドラマ視聴者みたいに泣いたりするのも劇中劇の役割とほぼ同じだ。それに加えセリが自分の身の上を「ロミオとジュリエット」みたいだと社宅のおばさまたちに言うシーンがあって、絶対に作り手はシェイクスピアを意識して作っているんじゃないかとわたしは確信した。現代的な観点だと荒唐無稽な話も、緊張が走る朝鮮半島を舞台にすると、スケールがほぼ変わらずアダプテーションされている。

物語が面白くなる「お約束」を散りばめたシェイクスピアアダプテーションとして物凄くしっかり機能しながら、この作品が面白いのはしっかり価値観が2020年にアップデートされているところだ。

ヒロインのセリはジュリエットみたいに「どうしてあなたは~」みたいな弱音を吐かずめちゃくちゃ能動的に行動するし、悲劇的な死を迎えてもダンは後追い自殺なんかせず誇り高さは失わずに未婚のまま芸術家として成功する未来が示唆され、それを母親が認める。(ここはすごく感動した)結婚できない人間を何だかみじめで変わっている人間に描くことに異常な執念がある日本のドラマと全く違うし、ヒロインがいつまでたっても結婚か仕事かみたいなことで全く悩んでおらず、有害な男らしさを誇示するタイプでもないリ・ジョンヒョクが新しい男性像として描かれているあたり、韓国はフェミニズム活動がしっかり市民文化に根付いているんだなと思う。中兵隊の部下4人組と耳野郎の会話の中にも下世話な女性へのジョークだとかが一切ないし、社宅村のおばさまたちは互いに文句を言いながらもここぞという時は団結する。女子校にキモイ妄想を抱いたり女性が集まればドロドロする~話が大好きなのは実は男性なのでは?と思っていたが、このドラマでそういうことはない。ダンの母親の上沼恵美子にそっくりのデパート社長も物凄く良いキャラで、とにかくものすごくジェンダーに配慮されて作られている。「ダメな私に恋してください」みたいな日本のドラマが少し前にあったが、最近の日本のドラマはどこまでも主体性のない女(自分のことをダメだと思っている)がクールなハイスペックで俺様気質のバカみたいな男と出会ってどうのこうのする話が多すぎるし好きすぎるんじゃないかと思う。

政治風刺も多分に含まれている。そもそも北朝鮮と韓国が舞台のラブコメの設定が一種の政治パロディで、映画「ジョジョ・ラビット」に近いブラック政治コメディの一つとして位置付けることもできる。セリが非武装地帯を爆走するときに、第5中隊のドラマ好きの部下が韓国ドラマをこっそり見ていて号泣していたためにセリを見逃すシーンは物凄く笑えるが、実際北朝鮮では韓国ドラマをこっそり見ていた人が処刑されるという事実を知ると全く笑えなくなってくる。また財閥一族のセリの家族は多分ナッツ姫とかあのあたりの実在の財閥の話をかなり皮肉って描いている。コメディに見せかけて政治を鋭く風刺するのはシェイクスピアはじめ様々な古典が行っていたことだ。勿論この風刺は物凄く諸刃の剣なところがあって、実際の脱北者拉致被害者の遺族がこの作品を見てどう思うかは考えなければならない点だと思う。

このドラマで一番泣けたのは韓国の人々が北朝鮮の人々を思う祈りみたいなものを要所要所で感じた点だ。貧しく不自由ても慎ましやか暮らしをしている社宅の村人たちがたくさん出てくるが、現実はもっと厳しく残酷なはずだ。おいしそうな料理がたくさん出てくるが、飢餓で苦しむ人々が後を絶えないと言われる北朝鮮でおいしそうなご飯をあんなに食べれるのかという疑問もある。多少ファンタジックでも、同じ民族が38度線を越えた先で慎ましやかに暮らしてほしい…みたいな祈りに満ちている。それと同時に実際の南北情勢はヤバそうな妹の元厳しさを増している。北朝鮮側はこのドラマに激怒しているらしいが、朝鮮戦争を忠実に描いた歴史ドラマよりこのドラマの方がよっぽど体制側には都合が悪いのだと思う。そういった点も含めて優れたシェイクスピアアダプテーション型政治風刺ラブコメディとして機能しているからこその大ヒット作品なのかなと思う。

 

Romeo and Juliet

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ロミオ&ジュリエット (字幕版)

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  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video