日記⑮

お休み。ひたすら寝てた。世界中ギスギスギスギスしてる。誠実・隣人愛・喜び(通ってた学校のモットー)でやっていくことの難しさ。誠実も隣人愛も喜びも人類にとってハードモードすぎし、手に入れることが難しすぎるからキリスト教とか宗教が生まれたのかなと思う。その時のお約束ごとの逆張りを言ってくれる人は一部から熱烈に支持されるのか。サマリア人も堕落した女も貧乏な人もダメですわ⇔隣人愛もって世界皆兄弟姉妹! 人種差別をなくそう思いやりをもって連帯していこう!⇔壁をつくろう、CHINA!みたいに。やっぱり人間の中は宗教を失っても、どこかで救世主を切望してしまうんだろうな(体制を変えていく人) 人によってそれが政治家だったり、場合によってはインフルエンサーだったりするんだろうか。

なんでそんなこと急に思ったかって言うと、もうすぐ5月が終わるからだと思う。5月はマリア様の月。マリア信仰ガチガチのカトリック教徒にとってクリスマスの次に非常に大切な月。マリア様行列と神輿の月。ロザリオのお祈りの月。自分が死んだら仏教徒として葬られる予定のくせにお経が言えず3歳から18歳までキリストに祈り捧げてたのほんまに面白すぎると思う。お経は今でも言えないけど、主の祈り(日・英) 聖母マリアへの祈り 憐みの賛歌等等は今でも言えるから色んな意味で教育の凄さを感じるなあ。

 

明日から(手伝ってくれと言われた…)わりと通常勤務っぽいので日記は一度お終いにしよう。アーメン